食糧増産命令 S43サイド

その日の朝、いつものように星見台から王宮へと続く専用路を歩いていた私は、王宮勤めの若い吏族が走ってくるのに出くわした。

「摂政!おはようございます!」
走ってきた割に呼吸を乱すこともなく、元気よく挨拶する吏族の青年。
やや貧弱な体躯であるが、美しいプロポーションと相まって、見事な敬礼だ。

「おはようございます。どうしたんですか?そんなに急いで」
「先ほど共和国尚書省、帝國宰相府連名の命令書が届きました!」
「食糧増産命令ですね?」
「え!ご存知だったんですか?」
「いえ。 そろそろ、出る頃だと思っただけですよ。
 それより、藩王閣下はどうされていますか?」
「閣下はアルフォンス様と会談中です」
「わかりました。私もすぐに行きます」

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王宮最深部にある藩王の執務室に到着すると、藩王は窓辺に立ち外を眺めていた。
北の同胞に思いを馳せているのだろう。
いつも温和でにこやかな彼にしてはめずらしく、表情が曇っている。

フィーブルと冬の京が戦場になり、戦時動員が発令されてから、その準備に追われているが、両国の具体的な情報は入ってこない。
既に戦死者も出ているという話もあり、付き合いの多い藩王としては、知り合いの身を案じているのだろう。
帝國とは反目しているが、互いに認め合う関係だ。
だから、今回のように共和国尚書省と帝國宰相府が連名で命令を出す。などという事態が起こる。
得体の知れない敵に蹂躙されて、それを喜ぶような間柄ではない。

「王、今度は何を言ってきたんですか?」
「あぁ、正式に食糧増産命令が出ただけですよ。
 ノルマは食糧15万tです」
「ふむ。
 結構の量ですな。
 で、アルフォンス様はなんと?」
「アルフォンス様は各国の王猫様方と交流があります。
 お友達を助けて欲しいと頼まれましたよ」
苦笑する藩王。
その表情は優しくもあり、悲しげでもあった。

「では、さっそく、全国放送の準備をいたしましょう。
 もっとも、国民の多くは既に察知して独自に準備を始めているようですがね」
「そうですね。クレールさんが言っていた、漁師の方の話は本当に感動しましたよ」
「ですな。 どこぞの世界でも、こういう気持ちがあれば、少しはマシな未来がみれるのでしょうけどね」
「全くです」

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国民に向けた放送は、命令ではなく、協力要請という形で行なった。
民族的に自律を好む性質があり、強要されると反発心が生まれる可能性が強い。
なによりも、純粋に同胞を助けたいと思っている国民にわざわざ命令を出す必要などない。

ただ、善意に甘えているだけでは、国は立ち行かない。

我が国の食糧品は農作物が中心で、そう易々と増産できるものではない。
備蓄を吐き出すだけで、足りる量ではない。
となると、色々と無理が出てくる。

農作物はローテーションが重要だ。
作物は大地の力で育つものだ。
過剰に作付けすると土地の力が弱まる。
弱まった土地を再生するにはかなりの労力が必要だ。
豊かな森林があるとは言え、自然と共に暮らすのが我が国の信条。
無闇に森林を切り開いていくようなマネはできない。

だが、今回はそうもいかないだろう。
通常なら商品化せず、肥料として還元する分の作物も消費に回される。
土地の回復が遅れるのならば、新しい土地を開墾する必要がある。

この部分は王宮で管理せずに、自由にやらせるわけにはいかない。

藩王を含む数名と手短に会議を済ませ、現地調査に出向く事にする。
主に果物を生産しているアルフォンス河西側の果樹園を視察、その下流の森林を開墾予定地として調査するという予定だ。

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視察に訪れたのは主要な作物である林檎の栽培農園だ。
藩王も視察に同行してくれた。

農園に到着すると、収穫作業をしていた年嵩の農民がすぐに我々に気付いた。
満面の笑みを浮かべて、走りよってきた。
両手に収穫したての林檎を抱えている。

「王様、ようこそおいでくださいました。
 自分で言うのもなんですが、うちの林檎は最高ですよ!
 これを食べれば疲れなんか一発で吹き飛びます。
 さあ、お食べになってください」
「ありがとうございます。遠慮なく、頂きます」

差し出された林檎を手に取り、齧り付く藩王。

「うわぁ!素晴らしぃ!
 いつも頂いている林檎も美味しいですが、こいつは特別ですね!」
「ええ。
 いつも一番のはアルフォンス様にお供えさせて頂いているのですが、
 今年はそれも回すように言われましたので…」
 農民の表情が少し曇る。
 言い難そうにしながらも口を開く。
「…。
 それで、王様…。
 …北の同胞はどんな様子なんですか?
 あっちには甥っ子が暮らしているんですよ
 猫士の噂話を聞いてから心配で心配で…」
「すみません。
 まだ、なにもわかっていないんです…。
 でも、安心してください!
 今回は、わんわんの連中とも共同で戦うんです!
 連中は気に食わないですが、黙ってやられるような腰抜けではないはず!
 きっと楽勝ですよ!」
「で、ですよね!わたしらの林檎で力をつけてもらえるといいのですが…」
「それは、私が保障しますよ!
 この林檎を食べればきっと勝てます!」

そんなやりとりを横目でみながら、収穫された林檎を確認する。
中ぐらいの大きさの一つを手に取り、割ってみると、中には蜜がはいっていた。
”つがる”によく似たこの林檎はある程度酸味があり、歯ごたえもしっかりしている。
蜜がはいっているのは糖度が高く、甘味が増す事で素晴らしい味わいになる。
献上品に選ばれるような上物もあるが、大半は形が悪かったり、小さかったりだ。
本来なら肥料行きなのだろうが、やはり、かなり無理をしているようだ。
それでもこの品質を確保しているのは、我が国の農民達が愛情をそそいで育てているからだろう。
本当に頭がさがる。

「レビさん」

顔をあげるといつの間にか話を終えた藩王が立っていた。
手には先程の林檎。

「林檎を噛むと血が出ませんか?」
にっこりと微笑む藩王

(…。この人は若いのにどうしてこんなしょうもないことだけはしっているのだろう?)

「でません」
冷たく言い放つ私。

「しくしく」
泣きまねの藩王。目は笑っている。

「さあ、馬鹿なこと言ってないで次いきますよ!」
「はーい」

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開墾予定地に向かう道すがら、藩王に先程の収穫物の様子を話す。
予定通り開墾を実施する必要性を確認した。

程なく、開墾予定地に到着する。
河に覆いかぶさるように森が迫っている場所だった。

「これはすごいですね」
「ええ。先ほど果樹園の人達が、この辺りまでは手入れをしてくれているようです。
 この様子だと開墾には十分耐えられるでしょう」
「そうですね。
 早速、アルフォンス様にお伝えして、森の精霊に許して貰えるようお祈りをしてもらいましょう」
「お願いします。私は人手の手配をしましょう」

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急いで王宮に戻った我々を待っていたのは、堆く詰まれた献上品の数々だった。
放送前から準備していた国民達が一斉に持ち寄ってきたらしい。

「感動した!」
藩王は本気で涙を流しながら、些か古すぎるネタを叫んでいる。
照れ隠しと理解してあげよう。

実際、私も目頭が熱くなる思いだった。

「共に和して自由の旗に栄光を与えん」

何もかもが嘘にまみれる世にあって、この信念は嘘ではなかった。